なぜフルーツカクテル飲み放題を始めたのか?

■始めは鏡月のキープできる焼酎バー

BARを始めた時に松山のバーではスタンダードでやっていた、鏡月をキープできる普通のよくあるBARをやっていた。

1杯からも飲めるし、焼酎をキープして飲むこともできるBARであった。

スタッフもお酒が好きで飲めるメンバーを揃えてやって始めたのがホワイトスノウの始まり。

これはこれで、最初は朝まで楽しく営業ができていたと思う。

友達と一緒に楽しくやっていた。 本当に今でも良い思い出になっている。

■スタッフの離脱

みんな歳を重ねるにつれて仕事も忙しくなったり、転勤で移動が起きたり、彼女ができて働くことをやめたりしてドンドンスタッフがいなくなってきて、数人はお酒が飲めるメンバーもいたが限界が見えて来ていた。

スタッフに頼るスタイルではなく、しっかりとした松山にないスタイルを、構築していかないと続けていけないなと思ったのを鮮明に覚えている。

■フルーツカクテル飲み放題の誕生

自分でバーを開く前にはよく1人でお酒も飲めないのにバーに行っていたのを思い出した。

コーラしか飲めないのにお店で支払うお金は2000〜3000円ぐらい。

長い時間相手をしてもらったこともある中で料金が安くて申し訳ない気持ちがあった料金

逆に高いなぁーって思った時もある。

それなら決まったお金を支払う仕組みの方が自分的に良いのではないかと思い、1時間飲み放題を始めた。
お酒が飲めない人でも1人で楽しめるBARを作るために。

最初はフルーツカクテルを飲み放題では出していなかったが、常連さんにはサービスで出していって高評価だったのでそのまま勢いでフルーツカクテルも飲み放題に組み入れたのがキッカケ。

原価とか気にせずやり始めた。

最初は4種類〜5種類のフルーツカクテルから始めた。

それが今では22種類〜時期によっては25種類ぐらいになっている笑

■当時の松山の飲み放題は4名〜しかなかった。

10年前は4名〜じゃないと飲み放題が出来ない縛りが多くあった。

そんな中、1人から飲み放題が出来るバーが街中にはなかったので来店してくれたお客さんには好評でリピートになることが多かった。

この試作は新しくてとても良かったと思う。

そこからフルーツカクテル飲み放題しかないお店のスタイルに切り替えて行き、スタッフありきの店ではなく仕組みとシステムで運営出来るバー。そして誰でも【アルバイトだけでも】対応できるようにBARを構築していった。

■今日の最後に

これからも強みを強化するとともに自分が語れることBARについて書いていこうと思います。

今後ともよろしくお願いします🙇

本日もありがとうございました。

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